2009年9月20日日曜日

2009年9月号




           
           「秋の色糠味噌壺もなかりけり」  芭蕉



           児島善三郎作 「初秋」1939年 12号 個人蔵


なんじゃ これ!ってと思わせる芭蕉の句です。歳時記に因れば、加賀在の弟子句空の依頼で兼好像の画賛に芭蕉が詠んだもので、詞書に「庵に掛けむとて句空が書かせける兼好の絵に」とあるそうです。兼好が徒然草の中で「後世を思わん者は、糂粏瓶一つも持つまじきことなり」と述べていることに掛けて句空に送ったものです。澄み渡った秋の空の下、全てを捨て去った無の境涯を詠んだものです。掲出の「初秋」が描かれた昭和14年頃までの善三郎は対象とする風景を現場で写生しながらも、まるで粘土を手でひねり貼り付けるように丸や三角の形に様式化したり記号化して画面を構築してきました。この方法は児島様式とか善三郎調とか呼ばれて評判を博しましたが、この絵の頃から本人はこのような個性化に疑問を持ち始めます。大自然の深奥に潜む摂理や普遍性までをも描くこと、「一番大切なことは、画面の後に脈々たる生命が充満しているか否かです。額縁の外の森羅万象と自分の絵が相呼吸しあっているか否かです。」作家はなおも自問します。「私は今、個性の没却ということを考えています。尤も画家が全然個性を失して絵を描くことは出来ませんが、現在のように一人の作家の特異性が個性と同じに取り扱われてはならないと思います。私は、その特異性と棒引きしても、なお個性が厳然としていてこそ、その絵に大きな価値があるのだと思います。」(昭和15年 大久保泰氏宛て書簡より)確かに、この絵の空を飛ぶのには糠味噌壺を抱えたままではとても無理そうな気がします。捨棄の精神は仏陀が説かれたものですが、平安時代以降日本人の中に長く受け継がれてきました。


市場から

「視界不良」これはしょうがないでしょう。政権交代で既得権を剥奪して庶民にお金をばらまくという、まるで義賊のような事をマニフェる民主党の政治がどう経済に影響するのか万民が見据えようとしているところでしょう。富の移動が起こるのでしょうか、いずれにしても私どもの業界には良い効果は期待できないように思います。救いといえば潜在的インフレ圧力ぐらいでしょうが、現実にはこのところのデフレ圧力の強さに正直いってへコタレそうです。雇用と資産の劣化が止まらないと底無しのデフレスパイラルに突入してしまいます。世界の政治はこれを回避出来るのでしょうか。一歩間違えれば天井無しのインフレ、「とかくこの世は住みずらい」てな事にならないよう民主党とオバマさんに祈りましょう。25日には全美相の大会、10月15日には洋協の大会があります。本年後半の相場が見えてくると思います。又、ご報告いたします。



今月の新着


児島善三郎作「小さな花」4号


コジマチスと呼びたくなるような愛らしい小品です。1957年のミモザの名品と同時期に描かれたものと思います。






               大袱紗 明治時代 絹地友禅


束ね熨斗文様に高砂の大袱紗。手描き友禅に縫い箔、ダイナミックでゴージャスな老後世界ですね。