「春の海ひねもすのたりのたりかな」 蕪村
児島善三郎 「熱海の桜」 34.0x42.7cm 紙本 岩彩
国道を熱海から宇佐美に向かって行くと錦ヶ浦を過ぎる頃から海岸線の崖の高さが急に増して来る。赤根崎あたりが一番高く崖も急峻である。熱海は箱根とともに善三郎が最も多く取材した地で、伊豆山も気に入った場所だったようだし、錦ヶ浦を左手に真鶴方面を描いた名作もある。又、海を入れずに山手の丘陵の別荘地を書いた作品も何枚も手がけている。晩年に描いた「熱海夜景」二点は特に名作の誉れが高い。この桜の絵に戻ると、海面からの高さが実に良く描かれている。桜の枝のしなり具合が誘導的役割を果たしているのだろうが、クレーの絵のように入り組んだ絵の左半分と海面のみの右半分との反発力も大きな力になっているようにも思われる。絵を描いていた下の叔父から聞いた事だが、満開の桜を描く時には幹をブラックで描けと言われたと言う。常緑樹の葉の緑とその黒の対比も鮮やかで、目もくらむような崖先にイーゼルを立ててでも描きたかった構図だったのだろう。現場では10号の油彩画であるが、後作のこの岩彩画の方が、春の海の眠たげな感じや木々の緑青の緑や花の感じも良く出来ているように思う。
「どうだ、俺にしか描けん画だろう!!」と言っているようだ。市場から
「六分の一の世界」
六尺の偉丈夫が一尺の物差しの丈になってしまったらどうでしょう。街や家はそのままで身の丈だけがガリバーの反対のように縮んでしまった。水を飲もうにも台所のカランに手が届かない。ベッドに上るにもはしごが要る。日常の瑣末な事を済ませるのに大方の時間を使ってしまう。サイズが変わると時の流れ方も変わって来る。アインシュタインが明かしたとおりのようです。「象の時間と蟻の時間」いう本が話題を集めた事が有りましたが、縮小した世界を生きる人々は蟻のようにせかせかと歩かなければ移動すらままならないのでしょうか。こんな事を書いているのはデフレ、デフレで絵の値段がリーマンショックの一年前と比べて約六分の一になってしまっているからです。勿論全てがそうなったわけではありませんが、1991年頃のバブル期と比すと確実に十分の一ですから、そんなものでしょう。考えようでは今が買い時かと、これまでは手の出なかった作品を市場などで買っています。とまれ毎日のように中央線に飛び込む人が後を立ちません、人の寿命さえ短くなってしまうから早くデフレを終わらせなければいけません。頭が悪いので良くわかりませんが、子供の頃は時間がゆっくりと流れていたんだから、今も時計はゆっくりと回っているということなのでしょうか。こんなこと桜吹雪の中の幻夢であればいいのですが・・。
今月の新作
児島善三郎 国分寺風景 10号変 1938年頃
昭和十年代前半の国分寺は近郊の別荘地だったようです。今は都立公園になっている岩崎別荘、日立の中央研究所になっている今村別荘、また住宅地に変わってしまった天野別荘などなど。この絵の画面左に描かれている東屋のように見えるものはアトリエのすぐ近くに建っていた現地売り出しの為のお休み処だったそうです。この絵は分厚い古キャンに描かれており、そのテクスチャーが画面に微妙な効果を醸し出しています。画集では白黒で見ていましたが、空の色と緑がとてもきれいな作品でした。
株式会社 兒嶋画廊
〒106-0032 東京都港区六本木7-17-20 明泉ビル201
TEL&FAX 03-3401-3011
E-mail eakojima@gmail.com
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