2010年2月18日木曜日

田植と麦秋


児島善三郎作 「田植」 30号 1943年 ひろしま美術館蔵

四季の風景の中であまりバランスの悪い取り合わせというのは見かけないように思う。
紅葉に燃える山の景色の中に松や杉の緑が一本ぽつんとあったり、新緑の里山に山桜がほんのり薄紅をみせても日本人はなぜかほっと安心できる。
先日、小倉からの帰りに新幹線から見た景色はそれに比べると一味も二味も違っていた。
名古屋を過ぎ濃尾平野から静岡に向かう途中が特に多かったような気がするが、車窓から飛ぶように見える風景は、田植えが終わったばかりの水田と、傍らに濃い黄色に染められた麦畑が交互する妙に変な感じの風景だった。
水田の稲は言葉の通り早苗といったひ弱な風で、その短く細い緑の線を鏡のような水面にしっとりと映している。
他方、麦畑は実りすぎた穂を前日の雨と風にいたぶられたのか金髪の大女が髪を振り乱してのたうち廻っているようにも見えるほど荒ぶっている。
 
何かただならぬ物を見てしまったような気がして、しばらくこの時期にしか見られない乱取りに見入っていた。

志村ふくみ作 「麦秋」 1997年 兒嶋画廊蔵


そこは、まるで弥生と縄文がぶつかり合う前線といったようにも見える。
水稲文化の弥生と木の実や雑穀の縄文との戦いなのだ。
間もなく、麦は刈り取られ何も無かったような緑一面の日本の夏がやって来る。
日本の文化もこの様に一様ではない。
今も弥生と縄文は日本人の体内で混ざり合い、解け合い確実にぶつかり合い、しかも互いに高め合っている。 
日本国土の美しさ、その描かれた時代を反映させ食糧増産を暗示させる胸の奥がキューンとなる名品。

児島善三郎作 「田植」

日本国土の美しさ、その描かれた時代を反映させ食糧増産を暗示させる胸の奥がキューンとなる名品。

志村ふくみ作 「麦秋」

気品のある紬織の優品。

志村ふくみの染織は、全て天然の草根木皮、木の実、木の根等を採集し、その抽出液で染め、手機で織り上げたもので、これぞ縄文文化の継承だろう。

 
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北九州市小倉の「衣舞の会」にて、古布を仕入れてきました。







芭蕉布琉球藍型染め 千鳥唐草上着

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