2010年12月25日土曜日

2010年12月号






児島善三郎 「冬の白田」101936年頃




冬の田の秩父おろしに濁りけり   村上鬼城


アトリエを代々木から国分寺に移してすぐの頃の作品です。
九月号の本稿に描きましたように、代々木時代の風景画は構図が
ズームアップされ、空はまったく描かれなかったり、画面の半分以
上が樹木の表現の斑描で埋め尽くされたりと、見る側は何か息苦
しささえ覚えます。画面いっぱいに描かれた豊満な人体と似たよう
な感じです。このように、人体の立体表現に比べ出遅れた日本の
風景描写も新天地国分寺に転居したからといって、すぐに其の難
渋が解決された訳ではありませんでした。昭和11年の美術雑誌
「アトリエ」に寄せた「現在の心境」の中では泣きをいれ、「告白する
と、私はいままで、自然を愛撫するような気持ちで仕事をしていた。
しかし、これからは偉大なものに接するような謙虚な気持ちで接す
るようになるであろう。自然に対する尊崇と畏敬―私の傲慢な心
が粉砕されなければ、私はとても永年ここに住む気にはなれない
だろう。(中略)いままで恋人のように思っていた自然が、自然の愛
が、いまは父親のように厳しい。(後略)」長い文章を端折ったので
解かりにくいと思いますが、要するに代々木の自宅の庭や近隣の
風景では上手くまとまってくれていたものが、空も広く奥行きの深
い国分寺の大自然の前ではまったくお手上げで、テニスで言えば
上級者相手にラブゲームでストレート敗けといったところだったの
でしょう。掲載の「冬の白田」10号を見ると新しい試みとして画面を
左右二分割し、左は今まで通りのクローズアップの平面化(モリゾ
ーのようにも見える)、右半分は遠近法を使った奥行き表現と、空
間表現に工夫の後が見て取れます。二つの要素の対立を農道の
屈曲したベクトル線と、空に浮かぶ冬の冷気の舌先の動きで辛う
じて繋げています。これから、いよいよ厳父に対する反抗期に入
るのでしょうか。田圃のあぜ道や野川、それを囲む松林や雑木林
を相手に前人未到の戦いが始まります。それにつけても右の林か
ら飛び出した一本木の高さはまさにスカイツリーです。よい年をお
迎え下さいますよう、お祈り申し上げます。



市場から

年の暮れを迎え政治は相変わらずですが、景気の方は気のせい
か少し上向いて来たような感じです。大企業の9月決算も概ね良
好だったし、一般の消費も悪くない様です。株式市況もここに来て
年初来の高値をつけています。忘年会のほろ酔い気分でこのま
ま駆け抜けられるといいですね。美術市場でも11月20日開催のシ
ンワオークションがなかなかの成績で、出品総数278点で落札率
は94.16%、落札総額は五億九千五百四十万円でした。目につい
た所では、レオナール・フジタの聖母子12号が四千万円、菱田春
草の海辺之月二尺五寸が三千八百万円、村上華岳の観音九寸
縦長が二千万円等、一番高値は東山魁夷の「明けゆく山湖」40
号で六千二百万円でした。このところ億の声を聞かなくなって久
しいのですが、現在のこれらの価格を見て安いと思うか、高いと
思うか、どちらですか。既に底を打ったと見るか、たまたまお金持
ちが道楽で乗せられて買っちゃただけと見るかでは大違いです。
私達プロにとっても思案の仕所です。来年の相場を占うことにな
る千束会の80周年の記念の大会が新年1月9日に行われます。
ご祝儀相場を期待したいですね。結果は新年号でお楽しみに。




今月の新着




辻が花残欠 江戸時代初期






高松次郎 Shadow of hook   1975年 4号



「辻が花」ご来着。桃山だったら大変なことですが時代は少し下るんで
しょう。黒柿の端材を使って額を作ろうと準備をしている所です。大化
けするか楽しみです。高松次郎の影の作品。よく三木富雄と難しそう
な話をしているのを側で見ていましたが内容は聞こえませんでした。
二人とも神経質そうなイケメンでアンソニー パーキンスみたいな雰囲
気を漂わせていました。


画集編集室便り

土屋、高杉両氏とも何時果てるともつかぬ作業を日々黙々とこなして
いってくれています。一日中、パソコンの前での作業は、さぞ、目にも
肩にも疲労が蓄積されてゆくことと心配しています。年が明けると本作
りが本格化してくる事になります。画集の執筆主幹の先生もそろそろ
決めなければなりません。私の思いとしては美術史的に相対的に捉え
る事も重要な事と思いますが、筆者が自分の言葉と情緒で作品解説
や作家像を浮き上がらせてくれたら、それが良いのではと考えています。

2010年11月25日木曜日

2010年11月号



  



          「錦秋」


          関照るや紅葉にかこむ箱根山  来山
          かざす手のうら透き通るもみじかな  大江丸





児島善三郎 20号 1960年  「箱根の秋(宮ノ下より強羅を望む)」





                 紅型 紅葉紋残欠部分




紅葉は古来まことに絵になりにくい主題です。誰でも理屈抜きに
知っている美しさですし、描こうとすると赤と黄色はどちら
も前面へ飛び出してくる色で、多用すると画面から遠近感や量
感、ムーブマンを見事に奪い去り、まさしく一枚の錦のように
平面化されてしまいます。先人はさすがお見通しで、光琳は団
扇絵ですが、山と川を大きくとらえ、紅葉の葉は周辺に数枚そ
れも半欠け状態に顔を覗かせる程度にあしらっていますし、北
斎はパトロンの家で竜田川の図を所望されると、画仙紙に曲水
を垂らし込みで描き、その上を足に赤い絵の具を塗った鶏を歩
かせ、「竜田川にございます。」と即興に逃げています。もちろん、
大まじめに屏風や襖絵の大画面いっぱいに挑んだ大画家たちも
いますが、おおむね豪華な感じだけで駄作に終わっているよう
に思えます。その良い例が横山大観の「紅葉図屏風」です。
果たして掲載の善三郎の秋景はどちらでしょう。
手元にある紅型の裂帳の中の1枚です。沖縄に紅葉があるのか
私にはさだかではありませんが、今回は色に押され何かカボチ
ャのポタージュのように「のっぺり」と失礼致します




市場から

G20がソウルで、APECが横浜でと世界の動きも新興国を巻き込
みながら、いよいよアジア、中国を中心とした時代になってきたよ
うです。アメリカ、EUもなんとか踏ん張りながら三極体制を維持し
ようと必死です。通貨戦争といわれるように自国の輸出増強と産
業保護のために、なりふりかまわず為替の誘導を仕掛けてきます。
その為ドルやユーロなどの通貨の価値は下落し、ご存知のように
金の価格が暴騰しています。その他、鉄鉱石、レアメタル、肥料、
などなど商品が軒並み高騰してきています。絵画もピカソの作品
がつい最近100億円で落札されています。以前から何度もこの欄
に書いていますように、スーパーインフレが竜巻を伴った巨大な

積乱雲のようにすぐ傍まで迫ってきているような気がします。
一方、国内でも沸き立っていた中国美術品の爆発的高騰には僅

かながら変化がでてきたようです。中国当局が土地価格の高騰を
抑える為、市中銀行の預金準備率を上げて貸し出しを抑制してい

ることもありますし、レアメタルの問題でもでてきたように輸出入や
送金の事務手続きを遅延させたり、厳格化したりで意図的に取引
を沈静化させようとしているらしいとのことです。美術品投機が賄賂
や汚職で得たブラックマネーの行く先になっているとの懸念も有るか
らでしょう。一時的な調整に向かうのか、バブル崩壊へとなだれ行く
のか、それこそ神のみぞ知るところです。いずれにしろ、わが国は
どうなるのか、私たちはどうすればよいのか頭が痛いですね。


今月の新着



児島善三郎「薔薇10F 1941年頃



                                                             
                                            Morandi FIORI1943



   国分寺時代代表的スタイルの薔薇、李朝の梅瓶は鳳凰
  が尻尾を向け後ろ向きにおかれています。以前から気にな

  っていた事がイタリアの作家モランディ(卓上の瓶の静物
  画で有名)が描いている薔薇とよく似ている事です。時代
  も殆んど同じです。恐らく、同時発生したもので、お互
  いの影響はあまり考えられません。善三郎が晩年の薔薇
  の様式にいたるのはこの作から約10年後になります。








                   越後上布亀甲絣

 
  一度は手に入れたかった越後上布です。だいぶ前の時代の
  反物だから私でも手が出せました。今はもうない銀座の老
  舗「紬屋吉平」のものです。素敵な女主人浦沢月子さんは
  和装界では憧れの的だったようです。一尺二寸の生地巾に
  118の亀甲が織り込まれています。どなたもお求めにな
  らないなら、来夏、仕立てて自分で着ちゃおうかなんて贅
  沢な事を夢みております。



画集編集室便り

 画集の体裁もどうにか見えてきました。観賞用とレゾネと
 二冊分冊する事になります。見やすく、買いやすく、カッコ
 イイ本にしようと思っています。ところで編集の藤元女史
 が上海ビエンナーレにお仕事で出掛けられた折に、
 善三郎の資料を持っていって当地の美術界の実力者に
 ご覧に入れたところ、大変気に入られたようで上海で展覧
 会を開いたらどうかとまで勧められたとのことでした。社交
 辞令もあるでしょうが、嬉しい話です。万博も終わったこと
 ですし、小生も一度上海に遊びに行って見たくなりました。
 プライベート美術館や画廊がどんどん出来ているそうです。


株式会社 兒嶋画廊



〒106-0032 東京都港区六本木 7-17-20 明泉ビル201
TEL & FAX 03-3401-3011
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2010年10月21日木曜日

2010年10月号

     

         匂やかに少し濁りぬ秋の空   高浜虚子





児島善三郎 「初秋の中ノ島公園」 1946年 65.0x80.5cm




中島公園・札幌 109日の朝


写真家の土屋紳一君と一緒に10月の8日から一泊で札幌と函館
へ善三郎の作品を求めて撮影に行ってきました。札幌での一泊はノボテルというヨーロッパ系のホテルで、掲載の絵の中島公園の 傍らにあります。翌朝7時頃に公園へ出ると、絵とは違って薄曇でしたが、空気はさすがに凛としていて秋そのものたたずまいで した。昭和21年10月善三郎は初めて札幌を訪ねています。 野口弥太郎氏の伝手もあったようですが、当時この公園の近くに大きなお屋敷を構えていた中根邸にお世話になったようです。中 根氏は善三郎の実家と同じ紙商を営んでいて北海道在住の洋画家たちのパトロン的存在だったようです。中根氏の奥さんやお嬢さんの肖像画も描いています。物資欠乏の東京と違って酒や食べ物も豊富でその上絵も売れるし、上機嫌で十日の予定が一ヶ月にも 延びたほどです。その上、大久保氏への手紙には翌年には札幌に アトリエを建てたいと書いているほどです。事実翌年も6月から なんと5ヶ月も滞在しています。「初秋の中ノ島公園」はこの間にかかれた作品のようです。体調を崩しながらも9月には個展も開催したようですが、北海道の経済も徐々に下降してきていたよう で成績はぱっとしなかったようです。そのせいかアトリエの話も 立ち消えとなりました。今回撮影した作品の中にもゴヤの絵を思 わせるような、中
根夫人を描いた素敵なサムホールが一点ありました。



 市場から

「ガラパゴス」というネーミングの携帯電話機が発売されるそうすが、こういう開き直りはユーモアがあって面白いですね。ガラパゴス化とは閉鎖された環境の中で文化や技術が独自の進化を遂げて、他の環境や地域とは別の枝葉を繁らせてゆくことをすことだと思います。日本の文化、芸術について同じように考察してみると、先ず縄文時代からが古代インダス文明を除いたらあまり世界に例を見ない重厚な発展を見せ、そういう土台があるから弥生も古墳も頑張り、正倉院に代表される大陸からの文化もやすやすと受け入れ我が物にしてしまいました。時代は飛びますが、江戸時代の鎖国制度と200年を越す無戦争時代は我国文化のガラゴス化にとって決定的な進化の推進役を果たしました。その間に庶民の目も能や歌舞伎、文楽、浮世絵、大和絵、身近な工芸品などを通じて異常なほどの高レベルまで高められました。今、私たちが持っている審美眼も、それら先人たちから受け継いできた有り難いものなのです。ケータイの開き直りのように美界もガーンと開き直りましょう。日本の美術は必ずやアジアや途上国の手本になるし、羨望の的になること間違いなしです。日本の美術は世界では通用しないだとか、売れないだとか、自らの中で自家中毒的に考えているんじゃないでしょうか。金融もんでくるし、このデフレの底でいいものには逃さず買いを入れましょう。9月25日の全美相の大会では、残念ながら1000万円を越すものはありませんでしたが、4時間あまりで2億5千万円の出来高がありました。





    今月の新着




村上華岳 「釋迦佛」





児島善三郎「西伊豆」10F キャンバス/油彩




どちらも夏を挟んで仕入れたものですが、表具を直したり、クリーニングをしたりで見違えるほど素敵になりました。「西伊豆」の方はマイデザインで白の胡粉磨きの太巾の額を発注し、出来上がりを楽みにしているところです。そんな按配で今月の新着とさせていただきました。村上華岳の釈尊図は家宝にしたくなるほどの名品です。




 画集編集室便り

冒頭でご報告のごとく、着々と作業は進んでいます。ご所蔵家の皆様のご協力に心から感謝いたしております。私自身の中でも、未見の作品に出会うたびに祖父の画業の奥の深さに改めて感動する事も少なくありません。只、当然のことですが、デジカメやスキャナー、高性能プリンターを駆使しても原作の色彩を表現る事は、まさに不可能と言えるでしょう。少しでも実作に近づけて感動をお手元にお届けできるよう、スタッフ一同研鑽を積みながら頑張って行きます。




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2010年9月16日木曜日

2010年9月号



「なんの湯か 沸かして忘れ 初嵐」  石川桂郎





児島善三郎「松」 1983年頃 115.5x80.7cm





ブラハ 絹経絣 ウズベキスタン h240cm

            
             野分け前・・
          一ヶ月お休みを頂いた上のこの暑さ、集中力など微塵も無く
          たってお許しを頂けるんじゃないかと勝手読み。絵も句も季
          語もばらばらです。我慢大会じゃないですが、43℃の風呂の
          中で鍋焼きうどんか、寄せなべを頂いている感じが出ればと
          ひと工夫。掲載の「松図」は実は50号の大作です。似たよう
          な構図で12号の「松籟」があります。こちらの絵のほうがカ
          ンカン照りの夕方、にわかに駆け曇り大粒の雨が地を叩 かん
          ばかりに落ちてきそうな感じが良く出ているのですが、今年
          の夏の終わりはまったく違いますから、敢えてこっちの猛暑
          のゼリー寄せのような作品を選びました。なるほど、そう思
          ってこの絵を見ると松の葉や枝のマッスが金太郎飴やゼリー
          寄せの切断面を見ているようにも見えてくるから不思議です。
          先週、福岡で久々に食べたクジラの百尋(ひゃくひろ、クジラ
          の腸)にもそっくりに見えてきます。この絵を描いた一 寸前に、
          善三郎は「代々木の庭」で繰り返し実験してきた箱庭的とい
          うか折詰的とも言える徹底的にズームアップし、遠近法を極
          端なまでに圧縮した風景画を終了し、新たな画題を求め起伏
         やV字谷のある武蔵野の国分寺にアトリエを移しました。
         留学前から考えていた準備は整った、誰の目も憚らずに、思
         い切った日本的表現を自己の絵画の中で実践するぞというマ
         ニフェストが聞こえてくるようです。左上の冷気急降下のよ
         うな表現が私にはよくわからなかったのですが、野分け前と
         思えば納得できるような気がします。冒頭のとぼけた句を詠
         んだ石川桂郎は、1909年東京生まれ、戦前は波郷の門人から、
         戦後は秋桜子の「馬酔木」に参加。酒食と放言を好み、風狂の
         人とあります。まさに、熱中症好み。




         市場から
  
    この稿がお手元に届く頃にはつぎの総理大臣が決まっている事
   でしょうが、市場の反応は冷静なものになるでしょう。何も変わら
   ない、何も変えられない恐ろしさ。アメリカを始め世界が出口戦略
   を中止し、再び緊急経済対策として公共事業や減税に走り出しま
   した。二番底への落下を止めようと躍起です。保護主義も顔を出
   してくるでしょう。日本の二の舞になってはならない、我々は違うと
   いっています。さて、これから美術品の世界はどう動いて行くので
   しょう。7月のシンワオークションは全体で6億円の下値合計が約
   10億円で落札され久々の快挙だったようです。その後、手元に届
   いたサザビーズジャパン社の小冊子「WHITE GLOVE」8月号の
   報告はなかなか興味深く、一面の石坂社長のロンドンからのレポ
   ートには「Masterpiece 2010 London」というアートフェアが紹介
        されています。そこでは、成熟してゆくアートマーケットやアート
        フェアの姿を伝えています。ブガッティーの名車もあれば19世紀
        の絵画、ピンクダイヤモンド、様々な骨董品、美術品など親しみ
        やすい品々が展示され、洒落たバーコーナーなど大人がそれぞ
        れ興味を持てるものを楽しみながら買い物が出来るという、忘れ
        ていた本来のフェアの顔を取り戻していたとのことです。「これが
        アート」、「これでもアート」というお仕着せから「ご自分のお好み
        で」というプリンシプルに戻ってきたとのレポートでした。そのほか
       6月のロンドンでマネの自画像が約30億円、5月のニューヨークで
       マティスの静物画が約27億円、ウォーホールの自画像が約30億
        円などなど、また中国美術も相変わらず沸き立っているようです。
   何で我国だけがいつまでも大底の番人をしてなきゃいけないの
   でしょうか。まるで地獄の「牛頭(ごず)馬頭(めず)」のように。



  今月の新着

                 

       脇田 和「鳥と顔」1950年代  10F キャンバスに油彩



    
                
            
          児島善三郎 「バラ」 12.5x15.7cm ボードに油彩




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2010年7月17日土曜日

2010年7月号




「紫陽花や帷子(かたびら)時の薄浅黄」  芭蕉




児島善三郎 「紫陽花」 1942年頃 21.7x15.9cm




 韓山苧麻布(ハンサンモシ) 細苧麻布(セモシ)

もう一年が過ぎてしまいましたが、新しい家の庭起しをしていた頃、 旧知のご近所からさまざまな植物を頂きました。それらがもう今では我が物顔で庭先に繁茂しています。日当たりと風通しが良いせか皆健康優良児といった風です。それらの中に紫陽花の挿木があります。花の頃でないと様子が分かりませんから、丁度今頃頂いた事になります。一日充分に水揚げさせた後、枝を詰め残った葉っぱも半分にカットして土中に挿します。大げさになりますが、祈るような気持ちです。果たして活着するだろうか、立ち枯れてしまうのか、どうとも仕様のない気持ちです。おかげで八割方活着に成功し、今、庭の隅で十五センチほどの高さの枝に不釣合いなほどの大きな花を咲かせています。小さな喜びにも根が生えてくるものなのですね。
掲載の紫陽花図は善三郎では唯一見たことのあるものです。雨ばかり続き写生に出掛けられない憂さを、縁側に陣取り一輪の手毬花に紛らわしたのでしょう。また、芭蕉の句の中の帷子時とは麻の単衣の頃の意で、蒸し暑い今頃に上布や縮(ちぢみ)、羅(うすもの)などの夏衣にかえる時候を表わしていると思います。

韓山苧麻布(ハンサンモシ) 細苧麻布(セモシ)
今回手に入ったものは重要無形文化財に指定されている鄭さんの作品で恐らく30年くらい前のものです。山野辺知行先生の一行の方が安東(アンドン)のモシ市で手に入れたそうです。蜻蛉の羽のような生地はまるで生絹のように薄く繊細で、羽衣も斯くやと思われます。まさに羅(うすもの)の代表格です。


市場から

六月二十四日に行われた年一回の親和会の大会は概ね盛況に終わり出来高は約六億円ほどだったようです。しかし一千万円を超えるものはわずかで、印象に残ったものは梅原龍三郎のカンヌ風景、東山魁夷の青緑色の風景、坂本繁二郎の植木鉢図、藤田嗣治のパリー風景などが上げられます。児島善三郎も風景とダリアが出ましたが、どちらも値が届かず不落札。中川一政も同じような薔薇の絵が何点も出ましたが20号で500万に届きません。林武は薔薇の良いものが出て6号が900万とそこそこの値で売れていました。全体で見ればまさにデフレ相場一色でした。家賃や人件費は左程変わらないのに、絵の値段が半分から五分の一になってしまって、よく画商さんは潰れないものだと自分のことはさて置いて関心してしまいます。7月15日には日本洋画商協同組合の夏季大会が開かれますが、出来高はあまり期待出来そうにありません。株安、円高、中国の不動産下落や成長鈍化など良いニュースがない中、シンワオークションが24日(土)に開かれます。ルノワールやシャガール、藤田嗣治など総額約6億円の絵画が競りに掛けられます。


今月の新着


                 
        
           脇田 和「少年の顔」1948年 16.8x20.5cm 厚紙に油彩



   

    織田広喜「群像」1954年 28x14.2cm 桜板材に油彩






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2010年6月17日木曜日

2010年6月号


「 雛罌粟(ひなげし)の くづるゝまへの 色揃ふ 」  檀浦蕗




児島善三郎 「虞美人草」 1940年 45.4x53.0cm

毎朝犬と散歩する公園の花壇にめずらしく大輪の虞美人草が植え込まれています。最近は野生に戻ってしまったような小さな花弁のしか見かけなかったので、なんとも嬉しくなりました。祖父が荻窪に越して行ったあとも家の花壇の周りにはこの時期になると虞美人草が矢車草や露草と一緒に繁茂し、初夏の風に細い茎やシフォンのように薄い花びらを静かに揺らせていました。音も無く散った朱色やピンクや薄紅の斑が入った白の花びらを教科書や参考書の間に挟んで押し花を作ったことを懐かしく思い出します。ページの間で乾ききった花びらは質量を忘れてしまったように軽やかで、口を細めて息を吹きかけるとふわりと浮き上がります。

児島善三郎は国分寺時代に数多くの虞美人草を描いています。室内で花瓶に投げ入れるとすぐ水揚げしだし、茎や花弁がゆらゆらと勝手な向きに動き始めます。そして、次の日の朝にはほとんどの花びらがテーブルのうえにちり積もっています。なんとも扱いにくく、描きにくい花だったことでしょう、支える枝はあまりにか細く、開ききった花はアンパンマンの顔のように大きいのです。小さなリモージュの花瓶に不釣合いなほど大きな花のマッス、バランスを保たせるために思い切った破調を文楽や歌舞伎の黒子のように画面四方に配置しています。この花を描いた作家や作品を他にはほとんど見かけたことがありませんが、今画廊には福井良之助の芥子の作品が掛かっております。
美校時代に同級生だった叔父を訪ねてきた折に感興を覚えられたのではと思います。後に何点も描いていますが、初期のこの作品以上のものはないような気がします。


市場から

大変な時代になりましたね。高地で炊飯しているようにいくら焚いてもお米の芯がなくなりません。水は沸騰しているように見えても実は100℃にはなっていないからです。経済も似ているようです。不良債権という減圧要因がなくならない限りふっくらとは炊き上がらないようです。まさにヨーロッパが生煮えです。さて、今回は「発句」についてお話しましょう。交換会などの競りで会主や競り子が売り手の品を前に最初にかける一声の事をそう呼びます。他の客がいきなり声を掛けるのを「横発句」などといいます。また、その一声だけで後の声が出ずそのまま落札されるのを「発句落ち」と言います。いずれにしても、売り手にとっても買い手にとっても非常に重要なものです。あまり発句が高いと次が出ませんし、低すぎると何か問題があるか、目垢の付いたものかなどと詮索されます。丁度良い頃合いを突くと、「名発句!!」と声が掛かります。当然その時の景気に左右されることは言うまでもありませんが、滅多に出る事の無いような名品が出てきたときなどは「お見事!!」というような高値が飛ぶ事もあります。品物を生かすも殺すも「発句」次第、「発句」が良いと続く声もポーンと伸びます。それを「きれいな鑓(ヤリ)だ!!」とまた囃し立てます。残念ながら最近の市場ではあまり元気な発声にお目にかかれません。

今月の新着


三木富雄  EAR PINK CHEROKEE 1964

画廊での展覧会には拝借して陳列した事はありましたが、ついにわが手中になるとは。強烈な念波を発散し続けています。展覧会「三十年目の三木富雄」展のために峯村敏明氏に書いてもらった文は「三木富雄が、おびただしい数の耳の作品と、まごうかたなき天才の徴候、そして悲運・自傷の記憶とを残したまま、心身ともに病んで事切れたのは、・・・」で始まっています。フォークがランダムに突き刺さっているこの耳を見ると、まさに「自傷」そのもののように思えます。わが子への虐待と同じように、マゾヒズムを表現にするにはサディスティックにならざるを得ないのでしょうか。



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2010年5月21日金曜日

2010年5月号

       

         「春過ぎて 夏来にけらし しろたえの 
                 衣ほすてふ 天の香具山」 持統天皇




筒描、型染夜着くずし、筍紋
      

                    筒描夜着 蝶紋



絵と布の歳時記ですのに絵ばかりが続いてしまいました。たまには布を御紹介させていただきます。掲載は夜着と夜着くずしで、季節柄「筍」と「蝶」の図柄を取り上げました。夜着は年配の方はご存知ですが、掻巻(かいまき)とも呼び寒い地方では厚い布団の上にドテラを伏せたように掛ける袖つきの掛け布団です。こんな派手な意匠は恐らく嫁入り道具だったろうと思いますが、家紋にしても意匠にしても身の回りの自然を等身大に捉え身に纏うのが日本人の情緒の気質です。思えば、この五年ほどの間に随分沢山の藍染の古布、襤褸、絞り、裂織り、刺子、筒描き等を憑かれたように集めてきました。特に夢中になったのは襤褸です。衣服にしろ布団、炬燵敷等が日々使用され磨耗し、毛羽立ち、そこをまた繕われ、継ぎ接ぎにされ、合体し、まるでフランケンシュタインのようになって、あたかも別の生命を与えられたようになった布たちなのです。日常の煩悩と人々の慈しみの塊のように思えます。


市場から

ギリシャ問題から超乱高下した株価もいつの間にか落ち着きをとり戻しているようです。さて、美術の話題ではピカソがフランソワーズを描いた、たいしたことのない絵が100億円、ジャコメッティーの人物像が80億円、ウォーホールの最晩年の自画像が約50億円、などなどオークションレコードが目白押しです。なんか気持ち悪いですよね。余程世界の超お金持たちは自国の通貨や基軸通貨と呼ばれている貨幣を信頼できないのでしょうね。ハイパーインフレ、決して起きてはいけない現象です。でも人々は実感し始めているのではないでしょうか。世界の政府が確固たる担保なしに緊急経済対策と称して輪転機が煙を出しそうになるほどお札を刷っているのを。千年の闇、それだけは御免被りたいものです。我国の美術界は一人、侘びさびの美意識をもってデフレ茶会を催して居ります。さすがと思って、一服如何でしょうか。


今月の新着

前身頃



後身頃

冒頭にも書きました襤褸の代表格です。袖は取れてしまっていますが
やはり夜着のインナーだと思われます。



拙句を一首

「若竹はころも脱ぎつつ背をのばし」  丸子(がんす、兒嶋の俳号)
朝方、犬の散歩の途中に見掛けた初夏の風物を、大好きな福田平八郎の「筍」図を思い出しながら。五月は節句月でございます。平にお赦しを。



株式会社 兒嶋画廊

〒106-0032 東京都港区六本木7-17-20 明泉ビル201
TEL&FAX 03-3401-3011
E-mail eakojima@gmail.com
URL  http://www.gallery-kojima.jp/








2010年4月21日水曜日

2010年4月号

         

「春の海ひねもすのたりのたりかな」  蕪村


児島善三郎 「熱海の桜」 34.0x42.7cm 紙本 岩彩


国道を熱海から宇佐美に向かって行くと錦ヶ浦を過ぎる頃から海岸線の崖の高さが急に増して来る。赤根崎あたりが一番高く崖も急峻である。熱海は箱根とともに善三郎が最も多く取材した地で、伊豆山も気に入った場所だったようだし、錦ヶ浦を左手に真鶴方面を描いた名作もある。又、海を入れずに山手の丘陵の別荘地を書いた作品も何枚も手がけている。晩年に描いた「熱海夜景」二点は特に名作の誉れが高い。この桜の絵に戻ると、海面からの高さが実に良く描かれている。桜の枝のしなり具合が誘導的役割を果たしているのだろうが、クレーの絵のように入り組んだ絵の左半分と海面のみの右半分との反発力も大きな力になっているようにも思われる。絵を描いていた下の叔父から聞いた事だが、満開の桜を描く時には幹をブラックで描けと言われたと言う。常緑樹の葉の緑とその黒の対比も鮮やかで、目もくらむような崖先にイーゼルを立ててでも描きたかった構図だったのだろう。現場では10号の油彩画であるが、後作のこの岩彩画の方が、春の海の眠たげな感じや木々の緑青の緑や花の感じも良く出来ているように思う。
「どうだ、俺にしか描けん画だろう!!」と言っているようだ。



市場から

「六分の一の世界」

六尺の偉丈夫が一尺の物差しの丈になってしまったらどうでしょう。街や家はそのままで身の丈だけがガリバーの反対のように縮んでしまった。水を飲もうにも台所のカランに手が届かない。ベッドに上るにもはしごが要る。日常の瑣末な事を済ませるのに大方の時間を使ってしまう。サイズが変わると時の流れ方も変わって来る。アインシュタインが明かしたとおりのようです。「象の時間と蟻の時間」いう本が話題を集めた事が有りましたが、縮小した世界を生きる人々は蟻のようにせかせかと歩かなければ移動すらままならないのでしょうか。こんな事を書いているのはデフレ、デフレで絵の値段がリーマンショックの一年前と比べて約六分の一になってしまっているからです。勿論全てがそうなったわけではありませんが、1991年頃のバブル期と比すと確実に十分の一ですから、そんなものでしょう。考えようでは今が買い時かと、これまでは手の出なかった作品を市場などで買っています。とまれ毎日のように中央線に飛び込む人が後を立ちません、人の寿命さえ短くなってしまうから早くデフレを終わらせなければいけません。頭が悪いので良くわかりませんが、子供の頃は時間がゆっくりと流れていたんだから、今も時計はゆっくりと回っているということなのでしょうか。こんなこと桜吹雪の中の幻夢であればいいのですが・・。


今月の新作


児島善三郎 国分寺風景 10号変 1938年頃

昭和十年代前半の国分寺は近郊の別荘地だったようです。今は都立公園になっている岩崎別荘、日立の中央研究所になっている今村別荘、また住宅地に変わってしまった天野別荘などなど。この絵の画面左に描かれている東屋のように見えるものはアトリエのすぐ近くに建っていた現地売り出しの為のお休み処だったそうです。この絵は分厚い古キャンに描かれており、そのテクスチャーが画面に微妙な効果を醸し出しています。画集では白黒で見ていましたが、空の色と緑がとてもきれいな作品でした。


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2010年3月22日月曜日

2010年3月号


「目を細め青麦の風柔かし」  富安風生


児島善三郎 「麦畑」 10号 1952年頃 個人蔵


国分寺から荻窪へアトリエを移して間もない頃の作品でしょうか、新しい画風を模索し大胆な挑戦をしています。国分寺では野川の河岸段丘を挟んで田圃が広がり、アトリエのあった高台からの鳥瞰的構図や川沿いまで降りていって地べたすれすれの狙撃兵のような目線などさまざまなアングルが自在に使えましたが、新しいアトリエの周りはただなだらかな斜面が続く欅や橡の大木を除けば空ばかりが大きな、絵にするには難しい地勢でした。この絵は写真でいえばかなり短いタマ・広角レンズで地べたすれすれから狙った構図です。そのままなら遠景の家々や木々はずっと小さくなってしまうことでしょうが、そこは絵では何とでもなります。正確にはわかりませんが、この時期には画壇ではもう抽象画がかなり多くなっていたと思います。1960年ともなれば具象画はまことに肩身の狭い思いを強いられる事になります。この絵も画面下三分の二はほとんど抽象画といっていいでしょう、ナバホインディアンの毛布のダズリング模様のようにも見えます。常に新しい日本の油絵の創出を標榜してきた善三郎は躊躇いません。この後もミモザの花や熱海夜景でこの試みは生かされてゆきます。富安風生はホトトギス派を代表する俳人で高浜虚子の門人です。構図を狙っている時の善三郎の姿が目に浮かぶ句です。


市場から

3月は15日の洋画商協同組合、25日の全美相と交換会の大会が続きました。大会とは会員だけでなく招待者も呼んで、なるべく名品を持ち寄って出来高を伸ばうという試みですが、最近のように月例会の出来高が細くなっているときには勢い期待が高まります。種々の経済指標や株価は一時より大分よくなって来ているようですが、美術市場は薄日が差し始めたかどうかといったところです。両大会とも出来高は最盛時の四分の一といったところです。一千万円を超える商品もほとんどありません。号外でお知らせのようにニューヨークへ久々に行ってまいりましたが、彼の地でも冷え込みは依然続いているようです。チェルシー地区の画廊街を初めて訪ねてみましたが、人影はまばらな上、有名な画廊を覘いても展示はまったくお粗末な内容です。スター不在の中、学級崩壊を思わせるアートシーンでした。でも、二つだけ素晴らしい出会いがありました。一つ目はダミアン・ハーストやムラカミで話題を集めたガゴシアンギャラリーでアメリカ彫刻界の最高峰デイヴィッド・スミスの展覧会が開催されていた事です。もう一つは名前を覚えていない画廊でですがジャクソン・ポロックの10号の油絵、ドリッピングになる少し前の作品に出会ったことです。思わず作品の前で釘づけになってしまい、値段まで聞いてしまいました。スピードと刺激から、見応えのある作品へと保守回帰は確実に広がってきています


今月の新着


福井良之助「晴着」6F



                          福井良之助「山間の冬」サムホール

先月に続き福井先生です。正当に評価される日は近いと信じています。「舞妓」と「雪景」どちらも人気図柄です。


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2010年2月22日月曜日

2010年2月号

    
    福井良之助 椿 二題     
    「寒椿 落ちたるほかに 塵もなし」 篠田悌二郎





福井良之助「椿」10号



                        「椿」3号



福井良之助が描く絵の背景は、小さな空間がひとつひとつ重なり、絡み合い、あたかもローアンバーの雲母(キラ)を袋張りしたような世界である。それは静寂そのものだ。そのうす茶や漂色のミルフィーユの中に蝸牛や紫陽花,貝殻、魚の骨、エプロン姿の少女や苺、葡萄が折々に漂う。花の場合は圧倒的に椿がよい。虞美人草やカンナもよいが椿の花首が音も無く落ちるとき、どんなにふんわりと受け止められ着地するかが容易に想像できるからだ。引用の句はまことに視覚的な句である。椿林の中が一面に積もった散華で埋め尽くされ他には何も見えないシュールな光景と、福井の絵のアンバーの積層と同じようにか、月面の無風の砂漠の砂の上のようにか、とにかくやさしく静かな世界に真紅の花首がすぼめた唇のようにそっと置かれている光景との両方が同時に目に入ってくる。作者の篠田悌二郎は明治32年東京生まれ、秋桜子の門人で馬酔木同人。句風は甘美流麗、繊細、叙情的とある。納得が行く。椿といえば、鎌倉にあった福井家の四月の庭を賑わしていた大輪の「明石潟」や真紅にひとひらの斑が入った「乱拍子」を懐かしく思い出す。

「無常と背中合わせの一夜の賑わい」家でも外でも人が寄るのが大好きな先生でした。



市場から

株は上がったと思ったらまた下げましたね。サブプライムの残り火はタバコの焼け焦げが布団の中の古綿に潜み忘れた頃に燃え上がるように、あちこちに飛び火して悪さをするようです。美術の世界はわが国では散々ですが欧米市場のごく一部の高額商品と中国物は相変わらず元気です。送られてきたサザビーズのカタログを見ていると急上昇しているのはジャコメッティーの彫刻、ピカソの優品、エゴン・シーレ、クリムトなどが目立ちます。コンテンポラリーの世界はそれなりに堅調ですがスーパースターはアンデイー・ウォーホール以来もう何十年と出ていません。そのことは市場自体の脆弱さにつながっています。いうなれば、ヒット曲の無い歌謡界のようなもので懐メロで場を持たせている感じです。いくら捏造しても、真に実力のある作家でなければすぐに馬脚をあらわしてしてしまいます。今、水面下で行われているのはグローバルなスーパースター探しだろうと思います。
また、新たな市場構成商品も求められています。市場から魅力溢れた商品が消えていっているのです。私と彫刻家三澤憲司氏とのコラボ「阿羅漢子」 にもNYの高名な画廊から問い合わせが入ってきています。ここが勝負どころと、来月には作品を持って三澤氏と一緒にNYに行ってまいります。請うご期待。



今月の新着



村上華岳 「菩提達磨」 紙本・軸装・共箱


華岳最晩年の作品と思われます。青墨とプラチナ泥で描かれた達磨大師のお顔の表情は厳しい中にも人間味溢れるものが感じ取れます。1月25日の全美相に出品されたので阿羅漢子展の記念に求めました。

華岳は坂本繁二郎や須田国太郎らとともに我国画壇では哲学的絵画、仏教的絵画、また幽境を描くことが出来る画家として高い評価を受けています。菩薩像はじめ六甲付近の山嶺、墨牡丹などが有名です。


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2010年2月18日木曜日

初富士にかくすべき身もなかりけり 中村汀女

児島善三郎 「冨士」 着色水墨


明けましておめでとうございます。

今年も一年よろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。

年明けの新聞の論調などは「どうなる日本」「どうする日本」ばかり。海外の論客には「大丈夫でしょうか、日本このままで」と聞きまわる。サービス精神旺盛な諸氏は「高度な技術力、先進環境対策など、まだまだ日本は」と新年のリップサービス。日本だけが世界から置いて行かれてしまいそうなんて心配しているようですが、徳川時代には200年鎖国していても何とか内需で食いつなげたじゃないですか。

富士山でも田んぼの案山子でもひとりで突っ立ているものには風あたりが強いのがあたりまえです。日本人は倹約は美徳であるとか、腹八分目とか、唯足るを知るとか、デフレに強い精神を持っています。世界で一番とか二番じゃなくてもいいじゃないですか。そんなことより、この汀女の潔い句を小沢さんはじめ政治家の先生たちにお年賀としてお送りしましょう。買わなくてもいいものを買い物籠に入れてしまったような気分です、棚に戻しに行こうかなっと

今月の新着

児島善三郎「読書する婦人」 61×45.4cm 1925-28年頃

滞欧期の作品。茨城県美所蔵の黒い帽子をかぶった婦人像と同じモデルでどちらもコスチュームです。ポーズは善三郎には珍しく、黒田清輝も描いている伝統的読書像です。近代女性を知的に描いています。

市場から

新年は株高から始まりましたね。大和證券によると寅年の相場は景気後退期となるが買いの大相場だということのようです。

美術市場は相変わらず暗雲が立ち込めています。日本の美術市場は長い間、業者だけで構成される交換会という場で作られてきました。もともと銀行がお金を貸してくれる業界ではなかったので、業者同士で商品を持ち寄って売買しお金を融通しあう講のような場でした。ほとんど世界に類のない組織で、長所としては丁稚修行した若者が乏しい資金でも開業できることなどが上げられますが、バブル期には顧客不在のバカ高値、不景気になればしぼんだ風船のような相場になってしまいます。市場には原理があり自由があり命さえあるが如く経済学では論じられますが、果たして本当なのでしょうか。業者の思惑や懐具合で作家や所蔵家の財産価値が決められて良いわけはありません。米作り農家が半年近く精魂込めて作ったお米が出荷すると米相場で赤字になってしまう。やはり変です。市場原理という言葉の中には、犯罪に値する詐欺行為を悪徳商法と呼ぶことと通じるものがあるように思えます。とはいえ、市場を戦時下の統制経済のように国家管理することなど勿論論外ですが、強欲と失望の暴走をどうにかしなければなりません。今、世界の金融界でもそのことが問題になっています。規制か放任か性悪説と性善説が凌ぎ合う。

21世紀の市場の有り様はどうなるのでしょう。中国も欧米も高額美術市場は今も沸き立っています。人類は新たな知恵を得ることが出来るのでしょうか。

田植と麦秋


児島善三郎作 「田植」 30号 1943年 ひろしま美術館蔵

四季の風景の中であまりバランスの悪い取り合わせというのは見かけないように思う。
紅葉に燃える山の景色の中に松や杉の緑が一本ぽつんとあったり、新緑の里山に山桜がほんのり薄紅をみせても日本人はなぜかほっと安心できる。
先日、小倉からの帰りに新幹線から見た景色はそれに比べると一味も二味も違っていた。
名古屋を過ぎ濃尾平野から静岡に向かう途中が特に多かったような気がするが、車窓から飛ぶように見える風景は、田植えが終わったばかりの水田と、傍らに濃い黄色に染められた麦畑が交互する妙に変な感じの風景だった。
水田の稲は言葉の通り早苗といったひ弱な風で、その短く細い緑の線を鏡のような水面にしっとりと映している。
他方、麦畑は実りすぎた穂を前日の雨と風にいたぶられたのか金髪の大女が髪を振り乱してのたうち廻っているようにも見えるほど荒ぶっている。
 
何かただならぬ物を見てしまったような気がして、しばらくこの時期にしか見られない乱取りに見入っていた。

志村ふくみ作 「麦秋」 1997年 兒嶋画廊蔵


そこは、まるで弥生と縄文がぶつかり合う前線といったようにも見える。
水稲文化の弥生と木の実や雑穀の縄文との戦いなのだ。
間もなく、麦は刈り取られ何も無かったような緑一面の日本の夏がやって来る。
日本の文化もこの様に一様ではない。
今も弥生と縄文は日本人の体内で混ざり合い、解け合い確実にぶつかり合い、しかも互いに高め合っている。 
日本国土の美しさ、その描かれた時代を反映させ食糧増産を暗示させる胸の奥がキューンとなる名品。

児島善三郎作 「田植」

日本国土の美しさ、その描かれた時代を反映させ食糧増産を暗示させる胸の奥がキューンとなる名品。

志村ふくみ作 「麦秋」

気品のある紬織の優品。

志村ふくみの染織は、全て天然の草根木皮、木の実、木の根等を採集し、その抽出液で染め、手機で織り上げたもので、これぞ縄文文化の継承だろう。

 
新着情報--------------------------------------------------------


北九州市小倉の「衣舞の会」にて、古布を仕入れてきました。







芭蕉布琉球藍型染め 千鳥唐草上着