児島善三郎 「冬の白田」10号1936年頃
冬の田の秩父おろしに濁りけり 村上鬼城
アトリエを代々木から国分寺に移してすぐの頃の作品です。
九月号の本稿に描きましたように、代々木時代の風景画は構図が
ズームアップされ、空はまったく描かれなかったり、画面の半分以
上が樹木の表現の斑描で埋め尽くされたりと、見る側は何か息苦
しささえ覚えます。画面いっぱいに描かれた豊満な人体と似たよう
な感じです。このように、人体の立体表現に比べ出遅れた日本の風景描写も新天地国分寺に転居したからといって、すぐに其の難
渋が解決された訳ではありませんでした。昭和11年の美術雑誌
「アトリエ」に寄せた「現在の心境」の中では泣きをいれ、「告白する
と、私はいままで、自然を愛撫するような気持ちで仕事をしていた。
しかし、これからは偉大なものに接するような謙虚な気持ちで接す
るようになるであろう。自然に対する尊崇と畏敬―私の傲慢な心
が粉砕されなければ、私はとても永年ここに住む気にはなれない
だろう。(中略)いままで恋人のように思っていた自然が、自然の愛
が、いまは父親のように厳しい。(後略)」長い文章を端折ったので
解かりにくいと思いますが、要するに代々木の自宅の庭や近隣の
風景では上手くまとまってくれていたものが、空も広く奥行きの深
い国分寺の大自然の前ではまったくお手上げで、テニスで言えば
上級者相手にラブゲームでストレート敗けといったところだったの
でしょう。掲載の「冬の白田」10号を見ると新しい試みとして画面を
左右二分割し、左は今まで通りのクローズアップの平面化(モリゾ
ーのようにも見える)、右半分は遠近法を使った奥行き表現と、空
間表現に工夫の後が見て取れます。二つの要素の対立を農道の
屈曲したベクトル線と、空に浮かぶ冬の冷気の舌先の動きで辛う
じて繋げています。これから、いよいよ厳父に対する反抗期に入
るのでしょうか。田圃のあぜ道や野川、それを囲む松林や雑木林
を相手に前人未到の戦いが始まります。それにつけても右の林か
ら飛び出した一本木の高さはまさにスカイツリーです。よい年をお
迎え下さいますよう、お祈り申し上げます。
市場から
年の暮れを迎え政治は相変わらずですが、景気の方は気のせい
か少し上向いて来たような感じです。大企業の9月決算も概ね良
好だったし、一般の消費も悪くない様です。株式市況もここに来て
年初来の高値をつけています。忘年会のほろ酔い気分でこのま
ま駆け抜けられるといいですね。美術市場でも11月20日開催のシ
ンワオークションがなかなかの成績で、出品総数278点で落札率
は94.16%、落札総額は五億九千五百四十万円でした。目につい
た所では、レオナール・フジタの聖母子12号が四千万円、菱田春
草の海辺之月二尺五寸が三千八百万円、村上華岳の観音九寸
縦長が二千万円等、一番高値は東山魁夷の「明けゆく山湖」40
号で六千二百万円でした。このところ億の声を聞かなくなって久
しいのですが、現在のこれらの価格を見て安いと思うか、高いと
思うか、どちらですか。既に底を打ったと見るか、たまたまお金持
ちが道楽で乗せられて買っちゃただけと見るかでは大違いです。
私達プロにとっても思案の仕所です。来年の相場を占うことにな
る千束会の80周年の記念の大会が新年1月9日に行われます。
ご祝儀相場を期待したいですね。結果は新年号でお楽しみに。
今月の新着
辻が花残欠 江戸時代初期
高松次郎 Shadow of hook 1975年 4号
「辻が花」ご来着。桃山だったら大変なことですが時代は少し下るんで
しょう。黒柿の端材を使って額を作ろうと準備をしている所です。大化
けするか楽しみです。高松次郎の影の作品。よく三木富雄と難しそう
な話をしているのを側で見ていましたが内容は聞こえませんでした。
二人とも神経質そうなイケメンでアンソニー パーキンスみたいな雰囲
気を漂わせていました。
画集編集室便り
土屋、高杉両氏とも何時果てるともつかぬ作業を日々黙々とこなして
いってくれています。一日中、パソコンの前での作業は、さぞ、目にも
肩にも疲労が蓄積されてゆくことと心配しています。年が明けると本作
りが本格化してくる事になります。画集の執筆主幹の先生もそろそろ
決めなければなりません。私の思いとしては美術史的に相対的に捉え
る事も重要な事と思いますが、筆者が自分の言葉と情緒で作品解説
や作家像を浮き上がらせてくれたら、それが良いのではと考えています。